女川町復興支援への想い(その②)
女川町の実話
東日本大震災により、女川町と板橋区を結んだ交流の歴史を知り、女川町復興支援ネットワークを立ち上げ現地に入った有志たち、その後、一つのエピソードを知ることになります。
女川町の真実
女川町に中国から職業訓練に来ていた162名の実習生が、津波に遭遇し、なぜ誰ひとり命を落とすことなく救われたのか・・・・・そこには実習生の所属会社の一つである会社の専務の存在がありました。地震直後、先頭に立って実習生たちを的確な指示で誘導し避難させていたのです。その勇気溢れる行為の代償として専務は津波にのみ込まれ命を落としました。
その事実を知った当時の温家宝総理は女川の地に訪れ、感謝の意を表しました。想いを歌にと女川町に対し鎮魂歌「大地の歌」が贈られました。
女川復興支援ネットワークの活動の一環として、女川や東京で「大地の歌」を通してその事実を広めようとコンサートを数回開催しました。
東日本大震災復興支援プロジェクトinとしま
秋刀魚7万匹!!!
2012年には、当時、放射能の影響により瓦礫受け入れが困難とされていましたが東京都が7万トンの受け入れ表明を発表し、東京都への恩返しとして女川の代名詞でもある秋刀魚を7万匹贈呈いただける話が飛び込んできました。
どんな規模でどうすれば7万匹の秋刀魚を取り扱えるのか、そんな中、日比谷公園で毎秋開催しているイベントで東京都公園協会が主催する全国都市緑化フェアTOKYOのメインイベントとしておながわ秋刀魚祭りをやりませんかとの話をいただき、紆余曲折を経て2012年10月20日一日限りの「おながわ秋刀魚収獲祭in日比谷」が開催されることになったのでした。
おながわ秋刀魚収獲祭in日比谷
おながわ秋刀魚収獲祭in大山ハッピーロード商店街
3、4ヵ月に及ぶ入念な準備、確認期間を経て、当日を迎えました。
ボランティアスタッフ1300名の動力を結集し、女川町の感謝の気持ちに応えようと弊社会長鈴木が実行委員長として陣頭指揮を取りました。
下村博文前文部科学大臣、坂本区長御礼挨拶
入場者数日比谷公園22万人、板橋に1万人が集ったおながわ秋刀魚収獲祭、今でも入場者数ギネス記録に認定されております。
被災から1年半が経過し、風化しそうになっている被災地への想いを新たにしたイベントでした。
ドキュメンタリー映画「サンマとカタール」
女川町に救いの手を最初に伸ばしたのは、中東カタールでした。フレンドシップ基金による20数億円の支援により翌年には津波も吹き抜ける冷蔵冷凍工場マスカーが建設され、復興には時間を要しますが、町には活力が戻り始めました。
そんな中東カタールと女川町民の絆は、フィルムとして残し後生に伝えていこうとの想いから映画化が決定し、会長鈴木はエクゼクティブプロデューサーとして関わってきました。
撮影は3年近くに及びましたが、復興から5年という節目を迎える昨年5月より全国各地で放映されました。11月にはカタール国での御礼上映会が催されました。当日の様子は地元メディアでも大きく取り上げられました。
復興から6年目を迎えましたが、女川町をはじめ東日本大震災の被災地の皆さまに昔のような生活が戻るまではあと5~10年は掛かると言われています。
映画を通し伝えたいこと、それは被災地への想いを絶やさないで欲しいと願う一面と、この事実を真正面から受け入れて前に進む日本人の底力をフィルムで残し後世に伝えていかなければならないと感じるからでした。
我々ができること、それは今後も気持ちを絶やさず被災地に思いを馳せ、一人ひとりができることを取り組んでいくことではないでしょうか。
会長秘書:玉広投稿
↓女川町復興支援への想い(その①)
https://www.livlan.com/blog/2017/02/01/2707/