リブラン設立~創業時の想い(その1)
本日は、リブラン(千葉建設)創業者であります会長鈴木靜雄の「創業時の想い」をご紹介させていただきます。
創業時の鈴木靜雄(25歳)
起業に至るまで
大学受験に失敗、19才で板橋の不動産会社に縁あってアルバイトさせていただくことになった。会社の社長からトイレ掃除を任され、「鈴木のトイレ掃除を全社員が見なさい」と称賛された。30人の社員が並んで一人づつトイレに入る。お前は見込みあるよと言われてその年に営業マンとして正社員になる。以来三年間、4店舗営業成績は一位でした。
その後、22才で創業しました。現在のリブラン(当初は出身地千葉県から千葉建設でスタート)は25才で設立し、間もなく50年を迎えます。板橋常盤台に社屋を構え千葉建設として営業を開始しました。
創業当時の千葉建設本社
企業理念『不動産住宅産業は人間産業であり、企業は社会運動体である』
創業以来一貫して、『不動産住宅産業は人間産業であり、企業は社会運動体である』いうスタンスを貫いてまいりました。当時、ダサい埼玉、ドブ板橋などと言われ、折があれば逃げ出したい東武東上線で事業に磨きを掛けることよりも、先ず地域のイメージを上げることが優先だと、全社員は会社に出勤せず地域に出勤せよと、地域活動手当を支給し奨励してきました。
東上線のイメージアップ作戦を板橋区商工課と展開、子供たちから愛称を募集、子供たちを審査員にした結果「森林都市線」に決定しました。沿線の不動産会社にお願いして配布チラシには「森林都市線(東上線)」と表示しました。結果、東武鉄道本社から呼び出され、きつく叱られたのを覚えています。
創業10年を迎える頃には、既に沿線ではトップ企業(100億)になっていました。しかし、その頃から住まいの本質とは何か?と現状への疑問が沸々と沸わいてきて、長年親しまれてきた千葉建設を棄てて、「暮らしの市民館」という展開に入りました。我々の仕事は住宅を建てて売ることではなく、人間、家族、子供たちを幸せにすることだと、住まいと人間の深い因果関係、関わりに気づきました。我々の目的は人々の幸せな暮らし、心を育むことだと気づき、その為の住まいはいかに有るべきか?住まいは手段に過ぎないと悟りました。
ときわ台「暮らしの市民館」
川越「暮らしの市民館」
ニチイ新座「暮らしの市民館」
長編のため、ここまでを(その1)とさせていただきます。
総務部:会長秘書 玉広投稿